Saturday, February 23, 2008

本当のプロジェクト

私がこの前に書いたポストは間違えた。日本語のクラスのプロジェクトは少し陰陽道と安倍晴明の通論だ。このようのことはちょっと専門科目だが、私が英語で説明できるから、日本語で分かり安い説明もできる。それは私の研究だから、日本語のクラスのプロジェクトで話すことがいいと思う。でも、黒板で難しい漢字を書くのは大切かもしれない。例えば、「陰陽」、「道教」の漢字を書く後で、ちょっと分かりやすくなると思う。

Monday, February 18, 2008

私のプロジェクト.........................と言うこと

音楽: 青木美稚子、大野徹也、黒田博の「愛の誓い」
本: 高原豊明の「安倍晴明伝説」

(前のポストで、私のプロジェクトを書けたから、このポストで、新しいアングルから同じを書こう。)

私のプロジェクトは毎日難しくなっている旅である。この頃、川に泳ぐの感じる。「星昴流」と言う源流を始めて川は安倍晴明と陰陽道に流れていた。でも、読解の難しさが高いから、カナヅチのように感じる。然斯、たくさん新しい情報が集めている。例えば、安倍晴明は摂津国から賀茂家の弟子であって、役小角(えんのおずぬ)は賀茂家の末裔であって、若者に摂津国の箕面来たことがあった。(今、修験道のクラスのため、役小角を勉強している。)安倍晴明と役小角はすばらしい伝説的魔法術師であったが、この情報を使って、リンクがあるかもしれない。

そして他の役小角について情報が見つけた。日本書紀によって、699に、彼に遠流されたが、その前、日本霊異記について、孔雀明王経を使って、魔術を使った。問題は808に空海が中国から孔雀明王経を持って来た。民俗学者のみんなは孔雀明王経がまだ日本に来なかったと思っているが、その場合には、どうしてそのクロニックルは孔雀明王経の名前が分かるか?日本霊異記の書くのは奈良時代の最後から平安時代の最初ぐらい概算した。だから、二つの答えがある。一つ目は日本霊異記が絶対に808の後で書いた。二つ目(私の意見)は空海の前に、孔雀明王経が日本に来た。面白い話だろう?こんなような情報はいつも私のプロジェクトに流れている。

でも、まだやらなければならないことがある。だから、今のプロジェクトはクラスの宿題、エッセイを一生懸命して、テストを頑張れ、日本語読解を練習することである。このプロジェクトを絶対する日、安倍晴明と陰陽道の真のプロジェクトを初め露ことできる。

Sunday, February 10, 2008

妖星乱舞

音楽: m.o.v.e¡WAKE YOUR LOVE!
本: ウンベルト・エコの「フーコーの振り子」(まだ)

大学の時、私はアニメが分かるために日本語を習いたかったなんだが、「X」と言うな新しいアニメのシリーズを見てみた、もっと大事な真実が見つけてよかった。いや、フラッシュバック。高校の時、アメリカのアニメ・ブームの前。アマンダと言う友達が英語に訳した「X/1999」と言う漫画があった。見させた後で、丁と言う人物の名前もイメージが思いでに焼き付けた。漫画を買ったことがなかったが、古い映画屋さんでX/1999の映画を見つけて買った。映画のストーリは早すぎるしたが、人物もテーマが大好きだった。世界の終末、約束の日。フラッシュフォワード。「X」のシリーズは映画より面白くてよかった。このシリーズにも、丁と同じ人物が登場したが、こんな時、他の人物が大好きだった。彼は皇昴流(すめらぎ・すばる)と言う陰陽師だった。

Xを見てすぎた後で、昴流のストーリを書きたかったが、インターネットで、陰陽師について資料がいっぱいあったが、英語に訳すことができなかったから、ストーリが全然書きなかった。インターネットで調べる時、「陰陽師」と言う映画を見つけた。日本にDVDで買うことできるから、私がインターネットでドウンロードした。その夏休み、10、15回見た後で、サーブタイトルなし少ししか分からなかった。一年後、英語のサーブタイトルのバーションが見つけた。映画のストーリが分かった後で、安倍晴明陰陽道が絶対に勉強したい。その英語のせいで、私がここにいる。これから、新しいストーリが始まる。

そしてこのごろ俳句が勉強しているから、陰陽師の映画に面白い短歌が入った:

望月の
時の行く間に
虧けぬれば 
共に満ち行け
明けの白露

Monday, February 04, 2008

私の好きな食べ物

音楽: X JAPANの「I.V.」
本: ウンベルト・エコの「フーコーの振り子」

私の好きな食べ物はちょっと説明憎いだ。私のふるさと(ユーティカと言うニューヨーク州の真ん中の町)にイタリアから来た移住民が多いから、そとにイタリアのような食べ物は人気がある。私は一番大好きな食べ物は「ガーリック・ピザ」と言うピザだ。それは本当にシンプルなピザだ。ローカルなデリカシーから、インターネットで写真があまりないんだけれど、これは同じぐらいのピザだ。ニューヨーク州に、「ホワイト・ピザ」がある。ホワイト・ピザとガーリック・ピザも全然トマトソースがないから、ちょっと同じようなことけれど、絶対同じことではない。そして、ニューヨークシティーにまだ見つけなかったんだ。

ガーリック・ピザの作り方は本当に優しいだ。ピザ・シェールがあれば、たくさんモッツァレラチーズをいれて。その後で、スパイス(ローズメリーとかオレガノとか...)もガーリック・サルトもオニオン・サルトを入れて。最後には、オーブンで焼いて。子供の時、母もおばさんも私に作られた。

思いでによると、日本に行った前に、ガーリック・ピザが全然なし時はなかった。毎週の土曜日、教会の後で、グラジアンノと言うなレストランに言ったけれど、そのレストランはまだいない。グラジアンノの店仕舞いの後で、新しいレストランのピザを見つけた。ピザ・パッドと言うなレストランは一番大好きなレストランになった。ピザ・パッドはまだ店仕舞いしなかったけれど、クックが変わったから、そのガーリック・ピザはいいけれど、もっといいピザが絶対にあったと思った。その後で、世界に一番ガーリック・ピザに見つけた。ユーティカの東側に、ロサリオと言うレストランがある。今、私がユーティカに帰る時、まだ毎週ぐらいそとで家族が食べる。ユーティカはガーリック・ピザのように他のうまいイタリアの食べ物があるけれど、ガーリック・ピザはいつも私の大好き食べ物だ。